THE NEW FRONTIERS

学生バンドから出発した通称ニューフロのニュー・フロンティアーズの前身はそもそも中学の卒業の時に瀬戸龍介と森田玄がクラスメイトの関眞次(後:ニューフロンティアーズのべース)にその気にさせられて、謝恩会で初めて、マラゲーニアとEl Matador そしてギター・アンサンブルのアンダンテを演奏したことに始まった。1960年の春のことだった。その後、瀬戸龍介は慶応志木高校、森田玄は都立西高校に進んだ。でも、やはりバンド活動はやめられなく、中学の時の友人達で Four Frogs というバンドを始めた。メンバーは森田玄、帰山二郎、新庄駿、そして瀬戸龍介だ。ブラザース・フォアのコピー・バンドとして始まった彼らも、その声の質からいって、綺麗なハーモニーは無理だった。その後は、メンバーも福山敦夫をベースに迎えて、キングストン・トリオを目指して本格的になっていった。そして、当時の音楽評論家の高山広之先生に認められて、初のアルバムをポリドール・レコードから発表した。それが、しいて言えばニュー・フロンティアーズの始まりだろう。
そして、高校2年(1962年)の終わりには、今は大先生なるあの吉川忠英を始めドラムに足立文男、ベースに関眞次を迎えてニュー・フロンティアーズは完全に噴火した! ジュニア・ジャンボリー、ステューデント・フェスティバルなどのコンサートを中心にTVやラジオ出演、そしてアメリカ進出を狙って、米軍のキャンプでの演奏が多くなって来た時だ。大学の3年の時、やはりアメリカに行かなくては何も本当のことは分からないということで、瀬戸はギター1本を担いで渡米した。
帰国した瀬戸は今度は全員で渡米しようと促し、ニュー・フロンティアーズはみんなで渡米した。ニュー・ジャージーの友人の家を基点にニュー・ヨークでの演奏やパーティーでの演奏で、拍手喝采を浴びた。自信をつけた彼らは本気でプロを目指し始めた。ニュー・ヨークであのビートルズのアメリカでのデビューのきっかけとなったエド・サリバンショーの出演依頼が決め手だった。でも、あと半年で大学を卒業ということで、大学を出てから、再びアメリカに来ればいいではないか、ということになり、そのままのアメリカでのデビューは無くなった。今思えば、どちらが正しかったのかは分からないが、惜しかったような気もしないではない。1966年の夏の終わりだった。