EAST

ニュー・フロンティアーズも大学卒業を迎えることになった。吉川忠英は明治生命に、瀬戸龍介は日本コロムビアにそれぞれ就職し、森田玄は早稲田大学工学部の大学院に進んだ。1967年のことだ。やはり、大学を出て、すぐにミュージシャンになるということの社会的圧力はそんな簡単には打破することは難しかった。でも、彼らの何処かに、本当にプロとして世界でやっていけるかどうかの自信が無かったのかも知れない。いつしか、ビートルズやキングストン・トリオのようになるぞ、といった世界デビューの夢も、ただの夢になっていったかのように思える時だった。 腹の虫が治まらぬように、むずむずして来ていた彼らは、気が付いた時はもうメンバーの瀬戸龍介、吉川忠英、森田玄は再び集まって、昼は会社と大学院に、夜は演奏という日々が続いていた。そして、メンバーはそれぞれ会社を辞め、大学院を辞め、毎日、世界デビューの為の猛練習に明け暮れながらの演奏活動が続いた。夜のコンサートが終わって帰ってからも、集まって練習していたくらいだ。朝の8時に集まって夜の12時まで、ほとんど休み無し、そして、夜中の1時からは曲作りに励んだ、全く普通ではなかった! 世界デビューの為の英語の特訓もすざましいものがあった。狂気の沙汰とはこのことを言うのかも知れない!デモ・テープを製作してそのテープをアメリカのレコード会社やら70社に送った。返事を待ったが、なかなか来なかった。毎日、ポストを見ながらの練習だった! その返事がとうとう来た! 内容は、ことごとく自分自身の音楽をやりなさい、といったものだった。アメリカという国はどんなに演奏が上手くても駄目だった、自分を持っていない人は駄目で、君は誰?と訊いてくることが始めて分かった。世界の壁は高く、そして厚かった! 今、思えばシアトル・マリナーズのイチロウ選手のように、彼らは、ただただ世界に目を向けていたことだけは確かだ。
飲まず食わずのアメリカ生活、9ヶ月が始まったのはそれから間もなくのことだった。アメリカに渡った時のニュー・フロンティアーズのメンバーは吉川忠英、森田玄、足立文男、朝日昇、そして瀬戸龍介の5人だ。1971年のことだ。渡米メンバーの足立文男とは大学のキャンパスで瀬戸と会ったのがきっかけだ。彼は黒人霊歌のハーモニーをやらせれば左に出る奴は居ても、右に出る奴は居ない。低音の響きの声を持つ男で、特にドラムの音を口で出すのが得意、口アレンジだけでも全て曲が決まったほどだ。朝日昇はその名のごとく、メンバーの中では最高にもてた。 おじいちゃんが付けた名前だそうだが、よくも付けたと思う。彼も低音の魅力で後、アルバムに収録された曲「Jar」では悟りを開いたマスターの声の担当だった。 彼はいつも朝日が昇るがごとくメンバーの花だった。 
渡米先はサン・フランシスコの近くのサンホゼという町の郊外のミルピタスという町に、当時、所属していたMS(ミュージカル・ステーション)の金子洋明氏の友人KEN NAGANOさん(後:EASTのマネージャー)がいて、その家に居候すること半年、毎日の練習の音で家族はみんな気が狂ったのではないかと思うと、本当によくやってくれたと思う。このグループの歴史の背景にはいろいろな人達の心からの援助と応援があった。今、思うとどれだけ感謝しても感謝しきれるものではない。そんなグループにも、やっとチャンスが訪れた。サン・フランシスコのボーディング・ハウスとういライブ・スポットのオーデションに受かったからだ。1週間の演奏する機会が与えられた。その間にとてつもない出来事が起こった、それはシスコの大手新聞のサン・フランシスコ・エクザミナーという新聞社の記者が最高の評を書いてくれたからだ。その新聞記事を持って、彼らの向かった場所は、勿論、ハリウッドだ。LAは大手のレコード会社が渦巻く場所だ。とうとう時が来たと意を決した彼らは、本気でチャレンジした。その結果、サンタモニカの有名なトルバドールのオーデションに受かって、マンデー・ナイト(新人ナイト)の出演が決まった。 トルバドールといえば、当時、ジェームス・テイラー、キャロル・キング、カーリー・サイモン、トム・ウェイツ、クリス・クリストーファソンといったトップアーティスト達がプレーするウェスト・コーストの最高のスポットだ。そして、そこは新人発掘に各レコード会社の有力プロデュサー達が集まる場所だ。その夜、彼らの演奏は最高の出来だった! 結果、早速、オファーがあった、゛君達のテープは聴いている、でも、生の演奏はテープよりも遥かにいい、早速、契約しよう!゛というものだった。彼らは、突然の、しかも待ちに待った夢物語をすぐには信じられなかっただろうし、又、天にも昇る気分だったであろう。そのオファーはあの有名なキャピトル・レコードを含むメジャー3社からだったからだ。勿論、彼らは夢にまで見ていた、あのビートルズやキングストントリオ、そしてフランクシナトラが所属している会社のキャピトルに決めた。グループの名前はその時からニュー・フロンティアーズから、「光は東方から」の意味でEASTと改名された。